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うれし恥ずかしボルドー旅行記1995 突撃版

うれし恥ずかしボルドー旅行 


06749/06755 JBG03735 NASA うれし恥ずかしボルドー旅行 突撃版(1)
( 1) 95/09/21 05:32 コメント数:1


 この話しは、今度の旅行においての私の数々の「武勇伝」(????)のなかでも
 きわめつけのものです。、、、、大胆不敵にして大笑いで、実は戦慄の、題して

  「 鉄砲玉 NASA の シャトー ルパン とつげきほうもん記 」

 これは、うれし恥ずかしボルドー旅行記の番外編っていうとこなんだけど、
 あまりといえば、あまりのお話しなので、まず書いちゃいます。ちょっと
 ふつーではない、ラッキーなお話しだったので。(これ以外は時間順で書きます)

  ***


 これは9月13日(水)、ボルドー旅行の6日目のできごとです。

 ボルドーについて5日目。ようやく場馴れしてきたかんじの私たちは、
 サンテミリオンを見歩いた後、まずはペトリュス、そして念願のシュバルブランを
 見て回り、最後は、シャトールパンの畑だけでも見て触って食べて(^^;帰ろうと
 ガイドさんの運転する車で一路ルパンへ。でも、博識多才のガイドさんもさすがに
 Ch.Le PIN は、いったことないということで、けっこう迷った。

 最初は、H.ジョンソンのワールドワインアトラス4版のポムロールの地図にある
 CH LE PIN の文字のすぐ上にある小さな小屋のようなところで車をとめた。たぶん
 ここじゃないかな?ということらしい。何でも知っている、ボルドー版HASIMA女史
 のようなガイドさんも、さすがにあんまり自信なさそうであった。そして、たしか
 に、本物のなんでもしってるHASIMAさんのいうとおり、その小屋のような家の前に
 は、木が2本ある。どうみても、松ノ木には見えないが、たぶんここだろうと、思
 った。

 妻がヴィデオを廻すので、
  「ここがシャトールパンでーす、これがルパンの葡萄です。」
 なんて演技してたが、なんとなく、どこにもルパンの文字がないのでいまいち。

 そいでもって、とことこと畑を歩いて、小屋の裏口までいって、なにか目印ないか
 と探しにいったら、気の良さそうな兄ちゃんが立っていたので、これ幸いに、

  「 せ しゃとー るぱん ヴァンヤード しるぶぷれ ? 」

    訳 (ここは、シャトールパンの畑ですか?)

 ときいたら、ノンノンといわれる。私はポムロールの地図をもっていたので、

  「 う え ら しゃとー るぱん ? 」

    訳 (シャトールパンはどこですか?)

 と聞いたら、、、、、「ソレハアソコノドコノナンタラカンタラ」と、早口の仏語が
 とびだしたので、こりゃいかんと思って、

  「あとんどる しるぶぷれ」 (ちょっと、まって)

 といって、「にっこーーーる、にっこーーーる!!」と慌てて、ガイドさんを
 呼んだ。ガイドのニッコールさんと妻は、私が行方不明になったので、いった
 い、どうしたんだろうと思っていたら、悲鳴のような叫びが聞こえたのとんで
 きてくれた。にっこーるさんに、
 「ここはシャトールパンじゃなくて、どーも、この方がルパンの場所を知って
  るみたいなので、聞いてちょうだい」
 お願いした。

 ぺらぺらぺらぺら という早口の2人の話しがあって、ニッコールさんは、わ
 かったという。ちなみにここはどこの畑なのかきいてくれ?といったら、それ
 で、そこが、CH.BEAUREGAED の畑(飛び地?)であったのだった。
 私は 「 I SHOULD GO BACK THE ROCK 」 なんて事、いってポケットの中の
 石を畑に投げてかえしたので、ニッコールさんは、大笑い。

 ニッコールさんは、まちがいなくわかったというので、車でいちろそこへ行く。
 またも小屋のような小さな家があって、こんどこそは間違いなく2本の松の木
 があるので、ここがシャトールパンであるとわかった。まさか#6725でHASIMAさん
 がいっていたように、ベルギー在住のオーナーがいなければ見学できないなんて
 いう事は知らなかったのだけど、とびこみでこの忙しい時期に見学できるわけも
 なく、とりあえず、畑を「見て触って食べて」しようと思った。

 しかしまぁ、なんていうか、そっけないところでして、なんの CH LE PIN の文字
 もない。せめて写真にそれをおさめておかんとそうでなくても大量にとったフィルムの
 整理の時に大変だなぁなんて事考えた。だいたいにして、この家の北側がルパンの
 畑なのか、南側がそうなのかすらわからないのでは、「見て触って食べて」すら
 できないじゃないわけで、、、、(^^;

 突撃隊NASAはまたもとことこと畑をまたも侵入し、道路側の反対側にあるら
 しい、出入り口のほうに向かう。すると、長身でがっしりとした体で、土まみれ
 のジーンズに長靴すがたの兄ちゃんがいた。私が例によって、

  「 ぼんじゅーる むっしゅーうー 」

 とやったら、ニコっと笑ってくれて、「ぼんじゅーる」といってくれるので、

  「 せ るぱん ヴァンヤード ? 」

 ってきいたら、その兄ちゃんは、「うぃ、うぃ」っていってくれる。「両方」
 っていう意味の仏語がわかんないので、左右を指差して、どっちもルパンかと
 きいた、とちゅう思わず英語まじりで、BOTH とかもはいっちゃう。

 すると兄ちゃんはにこにこしながら、英語でどっちもルパンの畑だといって
 くれたので、私はとびあがってよろこんだ。やった、これで念願のルパンの
 畑にこれたのだ、、、、と。すると兄ちゃんは

  「 じゅ ぷー ぱるれ あんぐれ ? 」

 とかなんとか、とにかく、仏語はしゃべれるかといったので、仏語は UN PEU
(ほんのちょっと)で、英語なら SOME(少し)だ、といちおう仏語でいったら
 それ以降、この兄ちゃんは英語でいろいろ話してくれた。

 今から考えると、ボルドー市内ですらなかなか英語はつうじないし、私のような
 ブロークンというよいもクラッシャーした英語は、なかなか通じない。なのに、
 けっこうこの兄ちゃんはうまい英語をすらすらとしゃべるのは、教養ありすぎで
 おかしいと思うべきだった。(^^; 以下、英語で

  「 収穫は来週からか? 」 (おおかたのシャトーではそうだといってた)

  「 いや、今週の金曜日からだ 」 (だとすると、もう2日後である)

 日本からきたんだ。なんて話しをぺらぺらとしていた。やけに親切なので、
 うれしくなってしまって、急に仏語で(この言葉だけは練習していたのだ)

  「 え す く じゅ ヴー ぷろん でゅ どぅ ふぉっと ? 」

  ( 訳 あなたの写真をとっていいですか? )

 って、いったら「うぃうぃ」っていってくれるので、ぱちぱちととった。

 なにしろその時の私のいでたちは、カメラマンジャケットをきこんで、
 右肩にニコンの一眼レフ、左肩にヘキサー(スナップ写真に便利なカメラ)、
 むねのポケットにティアラ(かわいいカメラ)といういでたちで、デパック
 せおっているという、どこからみてもカメラマンっていう格好なので、この
 辺でもしかすると良い意味での誤解があったのかもしれない。

 (なにしろ、サンテミリオンでは専門のカメラマンとまちがわれて、外国人観光客
  に路上で、このカメラが動かないのだが、なんとかならないかと相談されたりし
  て大変だったのだ(^^;)

 で、もって、あとはまた英語で、そのルパンの兄ちゃんに
  「じゃ、写真おくるから、名前と住所かいてよ」
 っていう感じで、胸のポケットからきたないメモ用紙とに書いてもらった。まぁ
 そこで気付くのが、普通であったのだが、、、、、

 その時、私はシャトールパンに、やっとこさ、これておまけに、
 「シャトーで汗ながして働いている人」(と、その時は思った)、話しができて
 舞い上がっていたので、ろくすっぽ、そのメモはみずに胸に押し込んだのだった。

  (つづく)
                           by NASA


06750/06755 JBG03735 NASA うれし恥ずかしボルドー旅行 突撃版(2)
( 1) 95/09/21 05:35 06749へのコメント

 (つづき)

 ちょうどそのころ、再び行方不明になった私を、探しに妻がやってきた。
 ルパンのその兄ちゃんは、妻をみて「とれ じょりぃ」 (訳せません(^^;)
 とか言ってくれたので、

  「ぼわしぃ ま ふぁーむ ちづこ」

  (訳 これは、私の妻のちづこです。 )

 と紹介した。(この仏文もずっと練習していたもののひとつなのですぐにでた)
 すると、「それじゃ、シャトーの中みていくか」と驚きのことをいってくれた。
 2人だけかきくので、あわてて「とわ、とわ」(3人、3人)といって、
 ニッコールさんもよんでくる。

 シャトーの中はほんとに小さい。たしかステンレスタンクが2つか3つあった。
 樽でアルコール醗酵させるという話しを聞いた事があるのでどう使うかは知ら
 ない。 その奥はいわゆるシェ(ワインを寝かした樽があるところ)である。

 私と妻が、写真やヴィデオはOKかときくと、「 NO SECRET , NO SECRET 」
 というので、写真とりまくり。奥のシェもけっして大きくない。樽の数にして
 20個か30個くらいか。今までの大シャトーにくらべるとほんとにこじんまり
 してる。こんな所にはいれて、うれしい、うれしい。

 舞い上がった私は、ルパンの兄ちゃんにティアラをわたして、妻と私の写真を
 シェでとってくれないかと言った。「それは私の仕事なのに」、、、、と途中で、
 そのルパンの兄ちゃんが、誰だかきずいたニコルさんはいっていたが、
 私はその兄ちゃんを気さくで良い方だと思っていたので、あんまりたいして
 気にしてなかった。

 結局、これがどういうことかといえば、

  「後楽園ドームで記念写真をとるのに、たまたまとおりかかった人に
   カメラをお願いしたら、それが ""長島茂男監督"" であった」

 、、、、という事です。はい。(^^;(だいたい、これで、わかってきたでしょ?)

 その私たちの写真までとってくれた、ルパンの兄ちゃんは、

 それから驚くべき事に、「ティースティングしていくか」といってくれる。
 あのシャトールパンをである。年間500ケースから600ケースくらい
 しか作らない、希少なルパンをである。今やペトリュスと値段もはりあう
 くらいになり、たぶん手に入らないということではペトリュス以上である
 あのシャトールパンの1994のティースティングである。
 私はひざまずいて神に祈りたいくらいの気持ちで、ますます舞い上がった。

 ルパンの兄ちゃんは、慎重に樽の上の蓋をあけると、太くて長いガラス棒の
 ようなもので(名前失念)、口でワインを吸い上げると並べたグラスのひとつに
 いれた。そして、それをひとつひとつの別のグラスに移しかえて、いわゆる
 グラスのシャンブレをすると、また樽にワインをかえした。

 おっ、このルパンの兄ちゃんはなかなか、ワインの事しってるなぁ
 (と私は思ったもんである。(^^;(^^;(^^;)

 これまた比喩でいえば、50過ぎの男の素振りをみて、なかなかこの人やる
 じゃん。まだまだ草野球だったら、4番で打ちまくるだろうなぁ、、、、、と実は
 彼の人が、長島茂男と知らずに思うようなもんである。

 そして再びワインを吸い上げ、ひとつひとつのグラスに慎重に注いだ。
 私は天にも登るつもりで、味わった。それは確かにまだ若かったが、
 私はただそれを飲めるという喜びだけで味わった。

 ルパンの兄ちゃんに感想をもとめられて、とってもいい、としかいえなかったのが
 悔しかったので、(このへんが、NASAのNASAたるところでして、、、、(^^;)

 私は一度だけルパンの1986を味わった事がある、といい、その複雑な香りには
 すっかり感動しきったとべらべらとしゃべった。ルパンの兄ちゃんは、
 「私は1982がお気に入りだ。まだまだ満足していない。もっとよい物をつくる。」
 というようなことをいっていたと思う。私は大胆不敵にも
 「ルパンはちょっと TOO EXPENSIVE なので、なかなか買えない」
 とかいうと、その兄ちゃんは、
 「ここを出す時はそんなに高くないのだが、途中で値段がどーもつりあがるようだ」
 と笑っていた。

 そろそろいとまをするときとなった。ルパンの兄ちゃんは、そこのノートに
 名前と住所を書いて行ってくれというので、書いた。でもって、これまた
 私のとっておきの仏語ばーじょんを出した。

  「じぇ あん ぷち かどぅ ぷぅうる ヴー 」

  (訳 ちょっとしたプレゼントがあります )

 そして、どっかで誰かにあげようと思っていた、日本の扇子をバックから取り出
 して、ルパンの兄ちゃんにあげた。暑い時はこう使ってくれと、身振り手振り(^^;

 そうすると驚いた事に、その兄ちゃんも、じゃ、私もあなたに何かあげようと、
 ルパンの木箱の天上板をとりだしたきた。1992を最初とりだし、それから横に
 1990があるのに気付くと、こっちのほうがいいヴィンテージだからと1990の方
 の板に、なぜだか(そのときは、そう思った)、自らのサインをして、下に
 日付までいれてくれた。妻のほうはようやくその時に、サインをいれるっていう
 事はちょっと、、、、あれ?、、、、って思ったらしい。私はただの友情の印だと思って
 にっこり受け取った。

 帰りの車の中、私は、ずっとそのルパンのサイン入り天上板を抱きしめていた。
 私の心は、ルパンでの人と人との出会いに熱く感動していたのだった。ほんと。

 運転するニコルさんが、あなたの心はまだポムロールにあるわね。と笑って
 いい、YOU ARE VERY LUCKY と何度もいった。まさにそのとおりだった。

  ***

 私がことの真相がもっと重大だとわかったのは、その日のディナーであった。
 ボルドーの一つ星レストラン、LE VIEUX BORDEAUX 。この会議室でも、りつこ
 さんが、すすめてくれていたし、ガイドのニコルさんもいいよと教えてくれた
 ところ。

 料理は例によって、適当に決める。料理にあわしてワインを決めるというつもり
 は、まったくないので、飲みたいワインがあれば、それを注文するだろうから、
 食べたい物を注文しといた方がいい。仏語メニュー(カルトっていいます)でも、
 素材だけはなにだかわかるようになったので、なんとかなる。

 さて、ワインリスト。「ルパン1984」がある。今度の旅行の中でワインリストで、
 ルパンをみつけたのは初めての気がする。たしかHASIMAさんも、前にボルドー
 で飲んだルパン1984をとっても誉めておられたし、ヴィノテークの私のこの1本
 でもあげておられたような気がした。偶然にしてはできすぎているので、たぶん
 このレストランであったのかもしれない。

 そして今日はルパンで最高の思い出ができた日。これを頼まずしてどうする。
 私にしてはわりとすぐに決定。今回の旅行でありがちだったが、高い(凝った)
 ワインを頼むと、とたんになんだかサービスがよくなる気がする。

 マダムらしき人が慎重にデカンティングして、澱の残ったルパン1984のボトル
 をテーブルに置いてくれる。今日、試飲したルパンとちょうど10年違いだね。
 なんて妻とはなしながら、ボトルをてにとり、エチケットをみる。


********************************************

   Le Pin

    POMEROL

1984 J.H*********

VITCULTEUR

********************************************


 シンプルだがいいエチケットだ。うんうん。(^^)
 VITICULTEUR っていうのは、よくわからんが、たぶん、葡萄栽培か醸造の責任者の
 意味だろうなぁ。上の読み難いのが、きっとその人のサインで、、、、、、、、、、、、、、、、、
 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 、、、、、、 あれ? 、、、、、、 えっ! 、、、、、、 ん? 、、、、、、 あ!! 、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 ああああ!!!!!! 、、、、、、 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

  ***

 そう。そのサインこそが、まさにわたしが「ルパンの兄ちゃん」と今まで不遜
 にも呼んでいた、あの「やんごとなき御方」のサインと全く同じでありました。

 そう。J.THIENPONT氏。あのヴィユーシャトーセルタンを所有する
 伝統ある有名なベルギーのTHIENPONT家。その一族のひとり。

 他のいくつかのポムロールのシャトーももっているはず。ペトリュスがでてくる
 までは、ポムロールといえば(そのころはマイナー地域だったが、、、、)
 ヴィユーシャトーセルタンが一番であったというくらい19世紀から伝統ある、
 有名なシャトーの所有者。

 本当なら、その「やんごとなき御方」と記念写真をとるべきだったのだろうに、
 なにを考えたか、その御方にシャッターを押していただいたという、、、、、、、(^^;

 それにしても、とっても気さくでフレンドリーな方で、もうなんというか。(^^;
 本当にその日の夜は興奮して眠れませんでしたです (^^;

 ルパン1990 J.THINEPONT氏サイン入り 天上板は今、家宝として
 飾ってます。(^^) 孫の代になったら、「なんでも鑑定団」にだしてみようと
 思います。(^^;

                        by NASA

 妻には、ま、この突撃(?)訪問の成功は、確かにあなたの行動力かもしれないが、
 ようもまぁ、ろくすっぽ、仏語もしゃべれないのに、平気な顔して、道路の裏側
 まで、2度までも(1度目ははずれ)、いって、挨拶してきたわねぇ、、、、、、と
 呆れてました。


 PS 前に、わたしルパンはペトリュスと対抗しようと背伸びしすぎではないか、
   と大胆不敵にも、かいた事あったけれど、全くの個人的感情ゆえにその発言
   は、完全に訂正し、もうこれからは「全日本ルパン党」のひとりとして活動
   する所存です。(^^;。はい。(^^)

   それから、1995のCH.LE PIN は、血の汗流してでもケースで買いたいので、
   関係者の方、よろしく。(^^)。




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